トイレのなかでぐっときた

キーボードを弾いてる国分太一がなぜか新鮮に見えてしまう、んぼ犬です。

ぼくは雑誌はあまり買わない人間だが、気が向いたら買うといった程度の雑誌はある。「週間サッカーマガジン」だ。電車の中で読んで、家へ持って帰ったらトイレの雑誌入れに入れておき、トイレの際に何度も飽きるまで読みかえすのだ。先日、そのサッカーマガジンの誌面が一新されたということで購入した。その10.24号の巻頭に編集長のこんな文章があった。はてなダイアリーの引用機能を駆使して引用してみたいと思う。

サッカーは誰のものでもない。言わばそれを愛するすべての人たちのものだ。サッカーはこうでなくてはいけない、などと誰も断言はできない。しかし、サッカーはこうあってほしいとは、誰もが思い思いに願ってもいい。

この文章はぐっときた。ぼくはトイレのなかで何度も何度もぐっときた。名言である。たいていの名言がそうであるように、この文章もサッカーだけではなく、あるゆるものに置き換えて考えることができる。試しに、

国分太一は誰のものでもない。言わばそれを愛するすべての人たちのものだ。国分太一はこうでなくてはいけない、などと誰も断言はできない。しかし、国分太一はこうあってほしいとは、誰もが思い思いに願ってもいい。

ほら。置き換えれたでしょ。