自由

娘と一緒にねんどをした。
娘に「お父さんも何かつくって」と言われたので、ワニを作った。特にワニに思い入れがあるわけでもなく、昔誰かが作ったワニの見事なねんど作品を唐突に思い出したからだ。出来上がったワニをみて奥さんも「うまいね」とめずらしく褒めてくれた。嬉しかったので、あとで写真を撮ろうと壊さずに、机のすみにとっておいた。

娘もぼくのワニに感化されたのか、ねずみやカメを思いつくまま作っていた。前まではうどんやらハンバーグなど食べ物系を好んで作っていた気がする。だんだんと作るものが立体的になっているように思う。
娘が作ったものをぼくと奥さんはいちいち褒めてあげる。娘は褒められてすごく嬉しそうだ。ただ、上手にできた作品もすぐに壊して次の作りたいものの材料となっていく。娘にとって関心があるのは、自分の作りたいもの作るということだけであって、ぼくのように「上手いものを作ってやろう」という周囲の評価を気にすることもない。そもそも作品を完成させるという発想もない。

自分が楽しいことだけをする。ということは、最も贅沢な行為だと思う。周りは関係ない。大人になるほどそれができなくなる。大人は不自由なものだ。
ぼくが作るワニはぼくにとっては、ねんどで作ったワニであり、娘が作ったカメ(上の写真)は娘にとっては、本物のカメなんだと思う。

これは娘が作ったさくらんぼ。ぼくにはこれがさくらんぼに見えず違うもの見えた。自由になりたい。