ヒロポンの質問箱(哲学)

油断していると質問がきますね。いつもいつも回答が遅れて申し訳ないです。
つくづく、世界には「なぜ?」が溢れているんだな。と思います。
常日頃から「問う」という姿勢を崩さないことが、健全な人間の姿だとぼくは信じています。
では、早速頂いたご質問の回答をさせて頂きます。
 

ちんこって何で「ちんこ」て呼ばれてるんですか?

 
なんなんすかこれ。
いいかげんにしてください。
こっちも遊びで答えてるわけじゃないんですよ。
 
まぁいいです。
言われてみれば「何で?」という疑問もわからなくはないです。
「ちんこ」という音の響き。ものすごく間抜けですもんね。
人類にとって、欠かせないもの。すごく大事なものなのに、その名前が「ちんこ」て。
尊厳のかけらもないじゃないですか。
で、とりあえず「ちんこ 語源」でグーグルでぐぐってみました。
 
まず、右の広告のところの「自宅でできるちんこ増大法」というのに目が引いたので、それをクリックしました。
すると、ちんこを増大させる増強器具のサイトがでてきました。
ちょっと気になったので20分ぐらい見てました。
まず、驚いたのが商品自体のデザインが非常にかっこいいということでした。
まるでスポーツ用品のようでした。漫画雑誌の最後の広告ページに載っているようなうさんくささが微塵も感じられませんでした。
もし、これを買って家族や友達に見つかっても、まさか「ちんこを増大させる増強器具」とは思わないのではないでしょうか。
そういうリスクマネジメントの点でも評価に値するデザインだと思いました。
また、商品を紹介するWEBサイトとしてのクォリティが、かなり高いと思いました。
特に、CGを駆使して使用方法を説明する動画が素晴らしいと思いました。
興味のある方は見てください。
ただ、3万という値段はちょっとネックですね。
実際にこれで大きくなるのかっていうところも、気になるところです。
 
あっ、いっけね。
話がずれてしまいました。
というわけで、検索結果の一番上に表示されたwikipediaの「おちんちん」の項。
ちんこの語源に関する資料としては一番最適なのではないかと思いました。
 
wikipediaの「おちんちん」の項の出だし。

おちんちんとは、男性生殖器、特に陰茎部分を表現する日本語における幼児語または俗語である。
地域・時代・人によって表現の揺らぎがあり、ちんちん、ちんこ、ちんぽ 、ちんぽこ、ちんぼう など幾らかの幅が見られる。

 
実際のwikipediaの表記でもそうなのですが、おちんちん部分が全て太字になっているんです。これはうける。
1億円やるから笑わずにこれ朗読しろと言われても、ぼくにはできる自信がありません。
 
はい、ぼくができる回答はここまでです。
あとはあなたが自分で勝手に調べください。ていうか、ぼくの時間を返してください。
 
あなたの疑問、お悩み、ご相談、試しにヒロポンに聞いてみよう。
ヒロポンの質問箱

筋トレ

この時期、ネットを見てると「桜の写真を撮らなくては」という思いが強くなる。しかし、すでに満開の時は過ぎてかなり散ってきているので早く撮らなければ。桜ってきれいだ。一番きれいなと思ったのは通勤時の電車から見える川沿いの桜だった。時間にして2秒ぐらいだろうか。一瞬だからきれいというのもある。

有名人がテレビ画面から発する「今自分にできること」というメッセージがある。「自分にできること」を考える。今朝も駅前でスーツにネクタイ若い人が大勢で並んで大きな声で募金を募っていた。そんなに大勢だと募金しずらいよ。募金した後に大きな声で「ありがとうございます!」と大勢から言われるのを想像すると尻込みしてしまう。

地震の後、正確には誕生日を過ぎたあたりから、どこかもの足りないものを感じている。何にも興味を持てないというか、おもしろくないというか、生活に張り合いがない。現在、話題になっているもの、他人から薦められるものはその時点で興味が半減する。何かおもしろいこと楽しいことはないかなと、よく考える。かわいい女子と仲良くなりたい。

2週間ぐらい前から筋トレをしている。寝る前の10分ぐらい。腹筋、背筋、腕立てを1日ずつローテーションでやっている。仕事も少し落ち着いて余裕がでてきたというのと、あとは腰痛対策だ。北斗の拳キン肉マンドラゴンボール、ジャングル王者ターちゃん、ジャンプ黄金期で育った男子は筋肉隆々の肉体に憧れる。正義の味方は強い肉体を持っているものだ。腰痛持ちでは家族も守れない。ぼくの今できることは筋トレぐらいしかない。たぶん何かの役には立つだろう。そんな感じで折り合いをつけている。

自由

娘と一緒にねんどをした。
娘に「お父さんも何かつくって」と言われたので、ワニを作った。特にワニに思い入れがあるわけでもなく、昔誰かが作ったワニの見事なねんど作品を唐突に思い出したからだ。出来上がったワニをみて奥さんも「うまいね」とめずらしく褒めてくれた。嬉しかったので、あとで写真を撮ろうと壊さずに、机のすみにとっておいた。

娘もぼくのワニに感化されたのか、ねずみやカメを思いつくまま作っていた。前まではうどんやらハンバーグなど食べ物系を好んで作っていた気がする。だんだんと作るものが立体的になっているように思う。
娘が作ったものをぼくと奥さんはいちいち褒めてあげる。娘は褒められてすごく嬉しそうだ。ただ、上手にできた作品もすぐに壊して次の作りたいものの材料となっていく。娘にとって関心があるのは、自分の作りたいもの作るということだけであって、ぼくのように「上手いものを作ってやろう」という周囲の評価を気にすることもない。そもそも作品を完成させるという発想もない。

自分が楽しいことだけをする。ということは、最も贅沢な行為だと思う。周りは関係ない。大人になるほどそれができなくなる。大人は不自由なものだ。
ぼくが作るワニはぼくにとっては、ねんどで作ったワニであり、娘が作ったカメ(上の写真)は娘にとっては、本物のカメなんだと思う。

これは娘が作ったさくらんぼ。ぼくにはこれがさくらんぼに見えず違うもの見えた。自由になりたい。